MERRY
バイオグラフィに載ってないMERRYの歴史を、想い出の地を巡りながらたどっていきます。HPの方では、本誌ストーリーをより細かく掘り下げていきます。
PROFILE
メリー●ガラ(vo)、結生(G)、健一(G)、テツ(B)、ネロ(D)。ニューシングル「群青」をリリースした。7/6(金)横浜F.A.Dより、MERRY【collector】Tourがスタート。ファイナルは、8/10(金)、11(土) 恵比寿LIQUIDROOM。
Chapter18:「新宿LOFT」
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今回訪れたのは、2009年の“under-world【BURST】”ツアーで初めてワンマンライブを行った新宿LOFT。それまでイベント等で出演したことはあったが、ワンマンをやったのは意外にもこの時が初めてだったんだそうだ。 「いっぱい出てるイメージはあると思いますけどね。この白と黒の市松模様のステージが、絵になりますよね。BOOWYとかBUCK-TICKが出てた、昔の新宿西口のLOFTに出てみたかったですね。それが悔しい」 ――さて、2009年の後半について伺っていきたいのですが、“under-world【BURST】”ツアーが、7月4日の渋谷WOMBから始まりましたね。WOMBといえば、前回腰を痛めてライブの途中中止を余儀なくされた因縁の場所ですが。 「その時の振り替え公演、という形だったんですけど、リベンジというか、無事に終わってよかったな~と思いましたね。ジンクスを気にしたりするんで、あの倒れた時の衣装は二度と着てないんですけどね(笑)。でも、すごくいいツアーのスタートがきれたと思いますね」 ――このツアーでは、バースデーライブだったり、男子限定ライブだったり、スペシャルなステージも組み込まれてましたよね。 「男子限定ライブは初めての試みだったんですけど、思ってた以上に人が集まってくれて、すごく楽しかったですねー。ライブが始まる前はDJに曲をかけてもらってて。そこからすごく盛り上がってるんですよ。俺らが出て行ったら、いつもだったら“キャー”とか“ギャー”とか上がっている声が、“ウォ~!!”って(笑)。燃えましたね。また機会があればやりたいです」 ――かなり過酷なツアーでしたけど、確か、このツアーはあえてセットリストを固定した、と当時聞いた覚えがあります。 「あ、そうでしたね。やるべきことが見えてたんでしょうね。なんのためのツアーで、“BURST”とツアータイトルになんでついてるのか。それがよく出せたツアーだったなと。ほんとに、この夏のことはみんな思い出したくないんじゃないですかね。俺、ライブ中にクーラーが直にあたるのが嫌なんですよ。裸だから寒いっていうのもあるんですけど(笑)。だから常にクーラーを止めてて。だからお客さんは倒れるわ、メンバーは酸欠になるわ、大変なことになってましたね。でも、よりむき出しになったというか、よりシンプルになったツアーだったと思います」 ――特に印象に残ってる場所はありますか? 「確か、札幌で結構へこんだんですよね。ライブの出来と、自分が乗り切れなかったということと。関東近郊や東名阪って、よく行く場所だけど、北海道や九州ってなかなか行けないじゃないですか。だから、そこに来てくれる人たちって、期待値が絶対的に高いと思うんです。だからこそ、それに答えたいとか、それを越えたいっていう思いがあるんで、気負いすぎてしまうのかもしれない。ほら、そういうふうに期待に応えようとすると、俺ら空回りしちゃうんで(笑)」 ――よく、見てる側がすごいいい!と思っても、メンバーはそうじゃなかったり、その逆もあったりするじゃないですか。メンバーの思う、いいライブってどういうライブなんですか? 「ファンがのってるのってないはおいといて、ライブハウスの中にある空気感がまったく違うんですよ、いいライブの時って。充実感の空気でいっぱいになってるというか。ダメな時って、どっか冷めてたり、一枚間にカーテンがあるような感じがする。毎回そうなるといいんだけど、ステージとフロアが一瞬、一緒にクッとなる時があるんですよ。それがすごい分かるんですよね。でも、最近はそういうことをあんまり気にせずライブができるようになったんですよ。俺らだけが楽しかったり、ファンだけが楽しかったりじゃなく、会場一体になってライブが作れてるんだなって、すごく感じてます」 ――この年は、“白い羊”“黒い羊”公演を大阪で行ったんですね。 「ツアーが終わってから、ずっとメリーを見守ってくれていた大切な人が亡くなったり、俺らにとってすごくいろんなことがあって、へこんでた時期でもあるんですけど、やっぱり俺はずっと一生歌っていくって、その人に誓ったんで、頑張っていかなきゃって。そんな時に、デビューする前からお世話になっている大阪ウドーの方がいて、その人がどうしても大阪で白黒羊をやりたいって言ってて、それが実現したんです」 ――このステージで、「不均衡キネマ」を初披露したり、これからメリーが進んでいく道だったり、決意を示したステージでもあった気がします。 「そうですね。ここが初披露でしたね。なんかもう、この12月はすごく自分たちが置かれてる立場だったり、現状だったり、世の中の厳しさを知った時だったんですよ。ツアー中に事務所を移籍しようかという話をメンバーとしていたこともあって、いろんな人と会ったりしてたんですね。でも、本当に相談に乗ってくれる人って数人だけでしたね。結局は信じられるものは自分たちだけだなぁと思ったし、同時に今まで自分たちがどれだけ周りの人に守られていたんだろうってことを知ることにもなった。寝れない日々でしたね」 ――もともとメリーは個人事務所だったわけじゃないですか。それを移籍しようと思ったのは、環境を変えたいってことだったんですか? 「良くも悪くも俺らしかいないので、良いこととダメなことの区別がないというか。メーカーの人も事務所の人も、みんなそれぞれが頑張ってくれてるんですけど、それをまとめる人がいなくて、結局それをするのがバンドになっていた。点が線にならなかったんですよね。そういう歯がゆさとか、歯車がかみ合ってない感じがあって。環境を変えたかったっていうのもあるし、刺激が欲しかったっていうのが一番だったかもしれないですね。当時は何か刺激に飢えてたんでしょうね。誰も信用してなかったし」 ――それは、他のメンバーも同じ考えだったんですか? 「そうですね。で、自分たちでやってたら、ほんとにどんどん規模が縮小していったんですよ。ディスクユニオンとかで「アイデンティティー」ってシングルを出したんですけど、媒体の露出が減ったんですよね。ジャケットにパンツはかせたりして、昔みたいなことができたけど、それじゃ世の中に広げられないって。好きなものを作れてるのに、憤りを感じてる。そんな矛盾も出てきたり。だから自分たちだけでやるんじゃなくて、移籍を考えたんです」 ――なるほど。2009年はメリーにとって、本当にいろいろなことがあった年でしたね。 「本当に。実はホールツアーの後、ほんとはドイツやフランスでの海外ツアーがあったんですよ。でも俺が倒れてなくなってしまった。この年は、俺の中でも忘れられない年ですね。でも、2010年はさらに怒涛な出来事がいっぱいあったので、それを暗示するかのような年でしたね」 |
